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授業・TEST編・実録税務調査・他
試験、テストは誰でも経験していることです。学校の授業、社会人となってから受ける授業(講演、講習)もあります。「他」として私の過去にあったこをご披露します。真面目、不真面目と云う評価は勝手にして下さい。 【 小学校編 】 ○川中島小学校(長野県)から豊玉第二小学校(東京)へ転校して、すぐあった算数(割算)のテストの話。 採点が終わり、成績発表が行われた。 担任が言いました。「今度の試験では100点満点が一人おりました。それはH君です。もう一人答は全部あっていた人がいました。神谷君です。でもやり方が先生の教えたのと違っていました。隣の人を見たと思われても仕方ありません。従って零点にしました。それでは答案を返します。」俺思った。「隣の奴は100点満点でないじゃあねえか。見て書いて答えが全部合うかよ」と。又「俺は川中島で教わったやり方でやったんだ。俺のやり方の方がいいやり方だ」と。縦にだらだら余りまで書く解き方と余り部分を暗算でやり3行で解く方法の違いであった。家に帰り「母ちゃん、答えが全部合っているのに零点にされたよ」と云ったら、「だから女の先生は嫌だと云ったんだ。もう勉強なんかしなくていいっ!」後でそうされた背景に気付いた。転校時、新しいクラスに編入され、紹介された時、その担任の長野・川中島の紹介で事実と違う(屋根は藁葺き、石を載せている云々)ことばかり言ったのでその場で(皆の前で)全部「違う」と否定されたことを根にもっていたのである。 ○図画の授業で、黒板に雉の剥製?ともうひとつ(何であったか忘れました)をつる下げ見たままを思い切って墨汁で描き、後で色を入れろと先生は云うのです。画用紙に素早く描き、電光石火で赤と紫で白い部分を埋めて出来上がりました。10分とかかりませんでした。先生が来て、一目見て「素晴らしい!!!」を連発しました。私には何が素晴らしいのか全く判りませんでした。正直「変な先生だ」としか思いませんでした。その後、全校での展覧会で最優秀賞となり、優秀作品の展示される部屋の中央上段に額入りで飾られました。その時下から見上げたら、結構きれいで光っていました。「へぇーっ」と少し得意になりました。 ○家庭科の授業では、お婆さん先生に運針の実技試験で完璧と褒められました。でも、製作では、「男はそんなことやらんでいいっ」とお袋は猿股を縫う生地をくれませんでした。料理の時も分担分の材料を持たしてくれませんでした。庭に廻りこっそり墨をかばんに入れ、学校に行きました。 【 中学校編 】 ○ 豊玉中学校に進み、英語の試験があった。成績は学年で一番と発表された。少しも嬉しくなかった。アルファベットの穴埋め問題なぞ出来て何が優秀なもんかと思ったからです。川中島の授業の方が進んでいたとだんだん思うようになりました。小学校4年の夏休みに出された宿題が国語の本一冊ローマ字に書き換えて来いと言うものであった。全部出来ずにオソルおそる提出した所、その量に担任が驚いたと云う実績があった。○中学校ともなると色々な委員会があり、クラスの皆の意見で選ばれたのです。清掃委員、保健委員等々やらされましたが、三年生の時、生徒会の執行部となる評議員に選ばれた時のことでした。評議委員会の委員長を決める時、顧問(社会科の先生)が私を指名したのです。私は拒否しました。何故なら名実共に皆が認める適任者が他にいたからです。断固として拒否し続けていると、「言うこと聞かなければ君の社会の点数を一(通信簿)にする」と顧問が言うのです。私は成績評価と何も関係無いだろっ、カッ−となり、「どうぞ」と言い返したのです。これが顧問の面子を傷つけたらしく、妙な状況へと・・・・・なってしまいました。或る朝ホームルームの冒頭で、担任に呼ばれ「お前、何した?」「何もしてません。私は悪くありません」「そうか、何でもいい、頼むから○○先生の所に行って謝ってくれないか。上手く説明出来ないんだが、教師にも面子てぇものがあるんだ」「判りました」とその通りにしました。その時この○○先生職員室で調子に乗ってこの俺を毒付いたのです。以来この先生をヘドがでる対象となりました。後日のことですが、この教師校長職まで行きました。教育界で出世する教師(生徒に目を向けていないで、出世を決める上に目を向けている=生徒に背を向けている)にロクナ奴はいないの典型と云うことです。いい先生は皆「平」で終ります(生徒に目を向けている為、背を向けられている者に受けが悪くなる)。教育界を仕切る者達が駄目人間であり、日本の教育制度の駄目な所以はここにあります。歯科医師会も同じ(会員に背を向け、ポジションを決めるおエライさんにゴマする者が所謂出世?をする構図)です。 ○中学生書道大会(上野の美術館に展示される)と云うものがありました。ある時私は学校代表として選手に指名されました。納得出来なかった私は職員室に抗議に行きました。抗議相手は書道の先生です。「何故俺を選手にした」と文句を言いに行ったのです。何故なら、選手の数は決められており、どう考えても私が入る訳が無かったのです。自分がどの位置にあるかは判っていたのです。自分より上手い者が選手になってない事実も容認出来ないと云う正義感もありましたが、それより「結果」が他の選手に比べてミットもない事になることが目に見えたいたからです。「俺に恥かかせるのか」と云う気持ちが本音でした。又字が上手くなりたかったのでその先生の塾に通っていたのです。私の字は勢いも力も無く、ただ早いだけで、皆が一字書く間に全部書き終えてしまうと云うお粗末な書道であることは判っていました。これは立派な「エコヒイキ」でした。それがたまらなく嫌だったのです。すぐ塾をやめました。書道大会の成績は思った通り惨憺たるのものでした。字の練習は、大學に入ってから、同級生で卓球部で6年共にした友人が高校時代書道部のキャプテンをしていたこともあり、字が素晴らしかったのです。色々な書体で書かれている彼のノートを写すことで独特?の字を書くようになりました。川中島小学校時代の先生に手紙を書くたびに「ヘタクソ」と返事が締めくくられていましたが、それも「よしっ」に変わりました。 ○高校受験 高校受験は「何処に行きたいか」「小石川高校がいい」「ちょっと無理だ、大泉にしろ」「ハイ」と云う具合で決まりました。当時は合同選抜方式でした。試験終って、学校へ行くと試験で書いたとおり、もう一回書けと答案用紙を渡され、書いて渡しました。担任が採点して俺を呼び出して言いました。「お前ほんとか、書いた通りか?」と言われた。嘘書いて何になると云い返しました。「採点したら839点だ。まあいいっ、その中にわかることだ。続いて勉強しておけ」試験前日までピンポンやっていて怒られた経緯もあり、終って又ピンポンばかりやっている俺を心配していたのでした。後で成績が届いたらしく、私の得点は「840点」でした。そんなことより、職業家庭科の問題で、「親子どんぶり」の問題がでて、中身が何であるか(栄養学的にだと云うのだが・・・?)がわからなくて、出来なかったのです。「俺、親子どんぶり喰ったことねえし、問題としてはおかしいよなっ」と文句言ったら、お袋がケッケ笑っていました。納得出来ない出題であったと云うことが言いたかったのです。 【 高等学校編 】 ○高校行っても、ピンポンばかりやって、予習復習なんて言葉を知らなかった。遊びに学校行っていたようなもんでした。大学受験と云う時期になった時は手遅れでした。「えっ受験勉強ってあるの」と云う認識でした。そんな中、全国共通学力テストの英語部門で学年1位の成績を採り、担任であった英語の先生に「神谷さんすごい!貴方が一番よ、見直したわ」「先生、本当にまぐれです」判らないから、でたらめ選んだ結果で、稀にあるまぐれ中のまぐれでした。常に平均点を下げる位置にいた私は、一度平均点を上げる側に立ってみようと考えていました。これから授業が始まる日本史がある。チャンスである。皆に先駆けて日本史のまる暗記を始めました。第一回目の試験はダントツでトップの成績を収めました。以後は言うまでもありません。じり貧でしたが、日本史だけは平均点を下げる側には立ちませんでした。 ○教室の暖房に石炭、薪を使っていました。ある日のこと、ストーブの側に何か壊した木片がありました。何か「・・・記念」と書かれていました。私はそれを投げ込み燃してしまいました。後で判りました。前年卒業者の記念品で各教室にあったスピーカーだったのです。暫くして大問題となってしまったのです。誰がそのスピーカーを外し、壊し、ストーブに放り込んだかと云うことでした。退学だ、停学だ・・・とエスカレートし、これはマズイ、最後に手を付けた覚えがありましたので、自首することにしました。複数の犯行と担任は決め付けておりましたので、近場の男に「二人でやったことにして一件落着にしよう」と誘い、職員室に出頭しました。そこでどやされ校長の部屋に連れて行かれました。「二人でやりました」とスッパリ頭を下げました。結局「良くぞ、自ら名乗って出た」と云うことになり勘弁してくれました。誰が降ろし、壊してストーブの側に置いたかは判らずしまいでした。 ○予備校(城北)の一年 日本史の先生が駿台予備校で教えていました。多少なら下駄はかせると云うので、浪人に決まった仲間がコゾッテ駿台を受験しました。ナカナカ受かりませんでした。何回目かの試験で四谷の午前部に合格と云う通知が来ました。仲間には「スゲエいいなあ」と言われましたが、ついて行けない予備校に行ってもしょうがないと考え、城北予備校に 紹介(裏口)で行くことにしました。紹介者には、午後部に入れるから、実力で上のクラスに入って見ろっと云われました。毎月の模擬試験の成績でクラス編成が変わります。 一応午前部の少人数クラスまで行き頑張ったつもりです。大学受験に勝利を得るには、特別頭がいい者は別として、全て勉強に集中し、わき目もふらず、ひたすら勉強しなければならない。俺にはそんなこと出来ませんでした。毎月一回行われる模擬試験の成績は決して悪くはなかったのですが、英訳が不得意で、知らない単語は無く、慣用句も見抜き、それでも訳すと×食らうのです。文章を作ってしまうのです。忠実に訳せと毎回注意されますが、向いてなかったのです。興味をもつと受験に関係ないことと判りつつ調べが進み「よしっ!」なんてやっていては受験では駄目なのです。 でも、予備校時代は私にとって素晴らしいものでした。「もう一年やったら、国立は入れるか?」と云うお袋の問いに「駄目だろ」と云って「馬鹿やろっ、東京歯科受けろ」「そうする」と云うことになったのです。己の能力を的確に測れることは一つの能力です。その能力だけは自信がありました。一寸興味を持つと調査が始まります。例えば「いろは歌」50音を一字ずつ使って作られた三十一文字、三つ目を探し出した時の嬉しさ、変わった故事由来等々。花札についてとことん調べたりもした。8月の札で「ぼうず」と解説していた「花札」と云う本の著者には、葉書を出したが返事はなかった。その内容は、「ススキ」の図柄が斜めにして見ると黒色の山肌に浮かび出ることを知らないようだったからです。花札は日本の四季を植物を中心にして現して作られたもので、「ぼうず」の出番は全く無いのです。何れも受験には関係ないことばかりでした。 ○東京歯科大学受験 国立の試験に比べて何と易しいのだろっと感激して答案を書きました。最初の科目は数学でしたが、急いで書いて字が汚かったので全部きれいに消して、丁寧に書き始めていましたら、今度は時間が無くなってしまい、慌てて、問題を飛ばしてしまいました。4点の座標で囲まれる四辺形の面積を出せと云う問題でした。座標の数字をある公式上で+−すれば良いと言う知識がありましたのですが、書きわすれました。そして翌日面接がありました。二段階で面接があるらしく、待機している場所がドアの所でしたので、中のやりとりが聞こえるのです。「あんな問題は基礎だ、お前は何を勉強していたのか・・・」とやっつけられているのです。どうも「何が出来なかったか」と云う質問が定番らしいと判りました。呼ばれて中に入りました。最初の所では趣味等について聞かれました。そして次の所に座りました。「試験は出来たかね」間髪をいれずに「出来ました」と答えてやりました。「そうは云っても何かあったろう」「いえっ全部出来ました」「何!・・・そうか全部出来たか、それは良かったなあ、もしここが駄目だったらどうする。他にどこ受ける」「医科歯科ですが、ここは大丈夫です」「そうか、まあここへ来ることになったら真面目に通うんだぞ」「はいっ」と毒付かれることなく面接は終りました。後で判ったことですが、入学試験の成績は二番で、結局一番の人は入学して来なかったので、一番になったようです。進学課程では学業、課外活動の総合評価で一番だと云われ、入学式で在校生代表で新入生に挨拶させられました。事前に原稿を出せと云われておりましたので(何を云うか危なくてしょうがないと云う心配があったようです)つまらない挨拶になりました。しかし専門課程の四年の行状は卒業成績を126番にしたのです。今しか出来ないことを優先して125番分のエネルギーが課外活動に注がれたと云う訳です。勉強は何時でも出来ると言っていましたが、その後も遊び優先のままです。 【 大学校編 】 ○英語(英訳)の最初の授業にあったことである。教材は「死んだ男:DHローレンス」で した。教授曰く「今日は始めてであるから、私が読み、訳す。その後質問を受ける。次からは、皆にやってもらう。では始める」と一頁を読み、訳した。「何か質問は?」質問する者は一人もいない。教授はしつこく「質問」を求めた。そのうちに「君たちは、高校で、中には浪人してまで英語を勉強して来た筈だ、質問一つないと言うのはおかしい。今まで何を勉強してきたのか」と説教になった。事体の打開のため、仕方なく、「ハイッ」と手を挙げた。そして「先生は、この単語(確か植物の名前でした)を読む時アクセントをここにつけましたが、こちらの方ではないでしょうか」「うーん、君の云う通りだ。しかし貴様の言い方が気に入らん。もっと短刀直入に云え。」以後、寝ている私を時々「おいっ神谷、間違いは無いか」と起こす嫌がらせをし続けました。この教授とはずっと仲良くしている。会えば「お前はふざけた野郎だ、こんな危なっかしい奴はいない。でもまぁっいい、出来た男だ!」と云われます。我が校出身のMが誘拐殺人を犯し大変な騒ぎとなった夏のこと、この先生に宛てたはがきに書いたこと、「ふとした運命の気まぐれが為せたこと」に感激したと言うのです。 ○英語(文法)前置詞が好きで徹底的に前置詞攻めにあいました。面白くもなんともないので終始寝ていました。寝てない時は雑巾を縫っていました。私の机の中には、糸と針(卓球台を拭く雑巾を縫うため)、鉄筆と原紙と鑢板(独逸語、英語の訳本を見て謄写版で印刷して皆に配布するため)、そして寝る時に要るバスタオルが何時も入っておりました。例によって席順に指名され、読み、訳し、文法の質問を受ける形の授業。私に指名が回って来ても寝ているので、その中私を飛ばす流れで授業が進むようになっていました。ある時、ザワツキで目を覚まし、前を見ると、教授が黒板に向かったまま考え込んでいるのです。隣に「どうした!」と聞くと「マタさん、黒板に書いた後、こんな英語あったかな?」と言ったきりああしているんだ。黒板を見ると「I知 sorry for you」となっていました。「I am sorry」と前の説明で書いてあった所に前置詞「for」の説明で「 for you」と繋げて書いてしまった後のことでした。「先生!」と呼びかけると、こっちを向き「何だ神谷か」と又むこうを向いてしまったのです。「先生、その英語あります」こっちを向く。「訳すと、お気の毒様」です。「ホントか?」「新クラウン辞典でsorryを引けば例文で出てます」「誰か辞書引いて」「見直したよ!どうしようもない奴だと思っていたが」以後この教授にも安眠妨害を度々されました。 ○生物実習で皆が泣かされていたので、仇をとることを考え、実行しました。ラナキャタスビアーナ、食用蛙の学名です。解剖に使用され、その日のテーマで、解剖スケッチ、レポート提出と云う流れです。ある時、雌が配られた場合卵巣のスケッチがあり、スケッチ上で卵巣図の枠外に卵をついはみ出して描いてしまったらしく、提出時に教授に卵は卵巣の外にあるのかととっちめられた者がいました。私はよしっこれで行こうと、わざと卵巣に傷つけスケッチして教授の所へ行った。「きみっ、卵は卵巣の外にあるもんかね、」「いえっ、そんな事ありません。」「このスケッチでそうなっている」「はいっスケッチは正確にしろと言われましたので、解剖の時一寸傷つけまして、卵が外に出てしまいました。すみません」「解剖したものを持って来なさい」そして飛び出している卵の数を数え始めました。そこは読んでいたので数と位置はぴたり合わせてスケッチしておきました。「よしっ」と教授悔しそうでした。実習室へ戻ると一部始終がすでに皆に伝わっていました。「神谷、良くやった」拍手喝采を受けました。己を知り敵を知るこれ兵法のカナメなり。兵法とは人の心理、行動を読むことであります。 ○物理実習では 毎回ディスカッションが長くみんなうんざりしていました。ある時、このテーマ(磁場)で皆苦労しているの、神谷さん何とかならない・・・。「よしっ考える」と、実験の進行中もただ見るだけで方策を検討していました。レポートを書くところである現象(プラス側かマイナス側かは忘れましたが、磁場を明示させるために浅い水槽に敷いた紙の電極を刺した部分が黄色に変色していた)を見つけ、ひらめきました。これは化学的反応(紙の成分が起こした)の結果だ、毎年長年こればっかりやってきた物理おたく助手には考えが化学まで及ばなくなっている筈、冒頭に質問をブツケテやれば、考えこんで、答えられないことを気にして適当な所で切り上げるのでは・・・と。その通りとなり、ディスカッションはあっと云うまに終ってしまったのです。 ○ドイツ語には参りました。何だかさっぱり掴めないまま前期試験となり、どうしてよいやら考え抜いた結果、山をはることに決めました。文法ではどうもこれが前置詞らしいから、教科書中の文から頭と前置詞と特長のある単語の3点セットの形で抜き出し、丸暗記してやりました。もう一つの和訳についても同じ作業をしました。結果はそのまま問題として出てかなりの成績に終りました。 ○二年のドイツ語試験、教材は「空想より科学へ:ロバートオーエン」これまた難解で、訳本が又難しい漢字、語句だらけ、さてどうする・・・・・同級生がやって来て「おいっ神谷、ダメもとで下駄をお前に預けるから山張ってくれ、それ以外やらないから。」と云うのであります。どうせ自分も山張るつもりだったが、果たして俺の山張りに付いて来れるかな・・・・・と思いました。山の内容は6つで出題はその中の
と云うものでした。答えを箇条書きにして皆に渡しました。その根拠はドイツ語の先生の考え、何故この教科書を選んだかの解明から入りました。私立歯科大のぼんぼん、お嬢ちゃんには無縁のことだろうが、多少は世間を広くしてやろうっと云う意図があると見たのです。結果はずばりでした。帰りのバスで先生が偶然、隣に座り「神谷君今日の問題はどうだっかね」「素晴らしい問題てした。私の山が的中しました」「えっ、私はみんなに無縁な労働者の社会のことを知って欲しいんですよ」「その通りです。判かります」私の山にかけた仲間は始めて「A」を貰うことになったのです。何人かの仲間の「やったぁ」と云う声が聞こえました。ドイツ語の試験で歴史の問題が出たと言うことです。 ○二年の英語(訳)試験、教材は「As you like it:シェ−クスピア」古典英語で困ったが、範囲が広く山の掛けようがありませんでした。出題は4問の「訳」は間違い無く、文中の詩の訳を4つ選び覚えて試験に臨みました。見事はずれました。仕方なしに何となく判る単語を使って、七五調の詩を4ケ創り、答案用紙をうめました。例によって成績が発表されました。しかし、私については跳ばされたのであります。「以上、C以上合格であーる。」「但し、当人は判っていると思うが、二人の成績の発表をしなかった。それには訳があるのだ。神谷と村木だ。この二人は不届きな奴であーる。明らかに勉強せず、山をはり、ものの見事に外れたことは言うまでもない。しかしながら、この二人、たった50分の間に見事な詩を創った。無論訳とは程遠かった。更に不届きなのは神谷だ。七五調に韻までふんでいるのだ。その努力に免じてCを付けることにした。合格!!!」 ○哲学の試験は、持ち込み可と云うことでした。出題されたのは「我思う、ゆえに我ありについて記せ」でした。裏まで使って色々書き、締めくくりは「絶対である神が何故に人間みたいなデキソコナイを創ったか理解出来ない」と結んでやりました。「我想う、故に我想われる、てな具合に行けば最高だと云うジョークも含めて」何か書けばCで合格と判っていたから楽な気分でした。 ○法学の試験は(持ち込み可)、「悪法は法なりや否や、民主主義的法理念に基づいて記せ」答えは「悪法といえども法は法である。」と簡単でしたが、それでは芸がないと云うことで、これまたクドクド裏面まで書き、悪法と気がついたら改める立法側の度量、悪法を改めさせる力、悪法を作らせない力がその社会にがあるか無いかがポイントであり、常にあることを期待するものであると結んだ。 ○当時試験は全科目一発で合格していた者が各クラス数名いたようでした。私もその中の一人でした。生物学の試験で、そのメンバーがコトゴトク不合格にされたのです。ある奴が納得出来ないと、採点された答案を見せ説明してくれと教授の所に行ったのです。見せてくれなかったようです。私は「教授のいたずらだ、放っておけ!」と言ってやったのに彼は納得出来なかったのでしょう。無論他のノータッチ組も納得してなかったようではした。私はあの教授奴(生物実習で仲間の仇をとった話の)!やりおったな!と思っただけでした。その時の問題は「A器官から出るB物質はホルモンや否や」「再生の場について記せ」だったと思います。 ○専門課程に来てから、進学過程時とは違い、コトゴトク不合格でした。追試、追試、口頭試問(助手、講師、助教授、教授と段階あり)殆ど最後までお付き合いしました。150人中140人合格と云う結果の中で10人に入っていました。但し、150人中合格10人(口腔組織学、放射線学)と云う中にも入っていました。少数派であった。考察するに暗記が必要な科目については全て落としていました。なにせ何も覚えて行かないのですから当然でした。試験は殆ど3問出題、2問正解で合格と云う形でした。口腔組織学の問題の2問は「象の牙は人間で云うとどの歯牙に相当するか」「歯根膜の厚さについて記せ」これは暗記してなくとも出来る問題、放射線学の2問は「X線写真の成り立ちについて記せ」「病理組織図の典型:アダマン、歯根ノウホウ、他一つ」後者は既に臨床実習中であったため誰でも描けるものでした。前者は常識でです。従ってこの二科目は一発でクリア出来ました。140名の人たち何を書いたのでしょうか。下線をした問題が出来なかったと云うことです。前者では、単位を「cm」と書いて教授を怒らせたとのこと、口の大きさを考えればcmである訳が無い、常識がないと怒ったそうです。後者は放射線学を学ぶにあたっての常識であり、DPEなんて書いた奴が多かったので教授がカンカンになって怒ったと聞きました。特に放射線学は国家試験の受験願書提出期限ぎりぎりまでシボラレタのです。この放射線学の教授は海外出張していて、出題は助教授が行い、採点時に教授が帰国し、答案をみたと云う経緯でした。 ○口腔生理学の実習の試験で、これで最後だと云う口頭試問を受けた時の話、その前の口頭試問(かなりの関門の後の)では女が二名いたので、この二名を先に合格させるべく二名の男は終始ダンマリを決め込んで不合格となった。その時、もう一人のIが「オイッ神谷そろそろやるか」「判った」・・・・・そして最後を迎えた。質問には替りばんこに全て答えた。そのうちに、意地になってくだらない?ことまで聞き出した。それも全部答えた。最後には怒り出して更に細かいことを聞かれた。それも替りばんこに全てクリア。「貴様たち俺たちを馬鹿にしているのか」ということになった。「なんでお前らがここにいるのだ、俺たちは暇じゃあないんだ。ふざけるな、帰れ!!!」・・・・・・「オイッ神谷、久しぶりに緊張して勉強したな。我々も忙しい身だからな、でも連中怒ったのも無理ないよな!又ラストで会おう」 ○細菌学実習の試験(口頭試問)教授にコテンパンにやられました。10人一組で教授の前に並び、私は41番でトップに質問される形でした。テーマは山があたり「腸内細菌」でした。概要について一通り聞かれ、全て答えた筈でした。他の9人の頭の中は腸内細菌で展開されると考え(当然でした)整理中。しかし最後に調子に乗って一言余計なことを言ってしまったのです。教授は「大体よし、しかし君最後に・・・と言ったね、これは腸内細菌に全く関係ないことなんだ。言ったからにはそれについて知っているのだろうね!それを聞こう」と私に追加質問したのです。「その余計なこと」については勉強してなく私は答えられなかったのは云うまでもありません。教授の質問の流れはガラッと変り、その余計なことについて42番、43番と質問がぶつけられることになりました。皆頭の中が具茶具茶になって口頭試問が目茶滅茶になってしまったのです。全員不合格、もう一度やり直しと言う結果になってしまったのです。その時教授曰く「この中で一見勉強しているようであるが、一番勉強してなく、一番わかって無いのが41番のお前だ、どうだ」「その通りです」と完敗を認めました。この教授だけはゴマカシでクリア出来ませんだした。でも「きれる先生もいるんだ」とさわやかな気分でした。 ○保存実習 夏休みの宿題として歯型彫刻(窩洞形成)があり、提出しました。その出来を見て保存科で欲しいと云われました。どうぞと云うことになりましたが、その時点で私に対する期待を相当抱いたようです。以後の提出物がひどかったらしく、ある時、医局に呼ばれ「君のことが心配だ。何故一生懸命やらないのか。合格点すれすれの所で何故止めるのか、手抜きをしている君が将来患者さんに対してそうなるのではないかと心配だ」と説教されました。私は「今は他にやることがあり、そうしているだけで患者さんに対しては全力投球します。」と答えました。 ○補綴実習の仕上げの試験で、開始時間を午後と勘違いして、学校に着いた時は、終っていたことがありました。医局へ、「試験の時間を間違えました。どうしましょうか」と相談に行きました。丁度そこにクラブ関係で知り合いの先生(卓球部の後輩の兄貴)がいて、「バーカ、今、道具持っているか?」「はいっ」「よしっここでやれ、みてやる。一時間で上顎左側6番を彫れ」、ポッケから切り出しナイフを出し、彫刻始め出すと「お前、それで彫るのか?彫刻刀は無いのか」「これで大丈夫です」あきれた、心配そうな先生の顔は今でも忘れません。30分もしない中に、「それで良い、合格」と言われました。お前って器用なんだな。 ○補綴実習(総義歯)蝋堤のサインを貰い、いよいよ人工歯配列、指示は上顎前歯部の配列で、サインは左右別々と言うことでした。左右を並べてサインを貰いに行ったものが怒られて帰ってきました。そこで指示は左右別々はいいにしても、対象的に並べるのであれば同時の方が合理的だと考え、左右並べて誰も並ばない教授の所に持って行きました。「お前、片側ずつと云われていることを聞いて無かったのか」「いえっ聞いております」「じゃ何故両側並べたのか」「対象を見るとき両側並べた方が判り易いと思いましたので、片側だけみて下さい」「なるほどね、良しっ」両側のサインを押してくれました。全歯配列した後は義歯の仕上げに入り、完成品を提出する時に又誰も並んでない教授の所に持って行きました。「よしっ、所でこの義歯の出来についてお前はどう思うか?」「仕上げて見て判りました、口に入れて使うと真っ二つに割れそうです」「その通り、判っていれば良しっ」 ○補綴実習(局部床義歯)バー、クラスプ製作の時、あるケースでは何段階かに分けて見ることまで決めていたが、どの段階にするか次の時に指示することになっていたケースで完成したクラスプを持って行きました。「いやに速いなあ、これまだ決めてなかったんだ、どうするーっまあいいかっ」と幾つかのサインを押して貰ってしまいました。それだけ速いと、実習することが無くなり、次の課題がでるまで喫茶店にいることになります。「何時もいない、サボっている」と見られてしまいました。時折間に合わないとヘルプの電話が喫茶店に入り、どれどれとそのクラスメートの所に行き、仕上げてやったりしていました。臨床実習になった時は患者のアポイントにまにあいそうも無くなった時点で連絡を受け、お助けマンの役割を果たすことしばしばありました。やはりサボリマンとしてのレッテルを貼られ、一部の馬鹿な医局員にいろいろ嫌がらせをやられました。「お前みたいないい加減な奴には友達はいないだろっ」と云われ、「友達がいないのは手前だろっ」と言い返して大変な騒ぎになりました。親友が医局に飛び込んで来て、「神谷っ我慢しろっ」と抑えてくれました。 ○歯牙解剖実習の時、歯型彫刻をもてあまし、台座を掘り、時には唐草文様まで付け、裏面にJISマークを掘ったりして「余計なものを彫らぬように」と注意されたことがありました。皆さん彫刻刀を使用していましたが、私は切り出しナイフ一本で勝負していました。 ○細菌学実習で夏休みの宿題がでました。何でも提出レポートの中身は見ないで、枚数を数え、考察だけ読まれると聞きましたので、レポートの真ん中は週刊誌のコントを写し、細菌の顕微鏡図には、細菌ではなく、教授の似顔絵(代々伝わっているそっくりの)で埋めました。何事もなかったのでやはり中を見ないと云う話は本当だと云うことが証明されました。 ○試験の時、答案に何か書いてないと15分経っても退場は許可されない。いつも、簡単な答え(記憶し易い)を覚えて行き、問題とは関係なく回答欄をきちんと埋め、時間が来たら手を挙げ、退室しました。試験官は他の科目の先生でしたから、内容までデタラメかどうか見ません。何時の、どの試験でも最初に部屋をでました。試験官の決まっての一言「流石は神谷だ」私は覚えなかったことはいくら頑張っても書けない、思い出しようが無いと云う理由だけで、お茶飲んでいた方がましと考えた上での行動でした。 ○生化学の試験は、範囲が広く皆苦手のようでした。しかし、教授は親切にも10問を教えその中3題出すと云うハカライをしてくれました。そこで回答を作成する必要がでたのですが、引き受け手が無く、回答集をつくることで勉強することにもなると考えて引き受けました。期日までに回答集を作ったのですが、その時思いました。何が親切なものか、この10問覚えることは生化学の全部をものにする形になっていたのです。あの教授出来るな!と言うことだったのです。ただ回答文中の「尿」を「オシッコ」と書いておいたのをそのまま答案に書いた者がいました。馬鹿かあー。私はこの教授の講義を殆ど聞いておりませんでした。無論ノートなどとっていません。しかし、一度だけ耳を傾けて聞いたことがありました。「バールハイト(真理)」は追求するもので求めるものでは無いと云う話でした。 ○歯牙解剖学の総まとめの試験で、答案が返され始めた時、私はもう一枚あると待っていました。獲得点数は40点、平均点は80点と発表されました。あまりにも低い点数でしたので、一瞬そう思ったのです。当然教授からの呼び出しがありました。神妙にしておりました所「君の場合はほかの学生と違うのだ。よくぞこの点数を採ってくれた。君が毎日卓球の練習をしているのを知っている。クラブにかけている情熱も相当なものと思っている。解剖学の成績はこれで十分です。立派なものです。但し卒業までには勉強して下さい。それからひとつ注意しておきます。放射線と組織はきちんと勉強しておいて下さい。通用しませんから。」と云う話をされました。別に意識した訳ではありませんが、結果的にこの二科目は一発でクリアしました。 ○衛生学の試験、私の席がありませんでした。出席回数が一回不足しており受験資格が無かったのです。これには参りました。当時は一年下の講義を一回受けてOKとなり、再試験を受けることで解決出来るシステムでしたのでどうってこと無いと思ったのですが、最悪の状況だったのです。一年下の講義が終ってしまっていたのです。と云うことは、「留年」と云うことになってしまいます。クラス主任、クラス委員が慌てたようです。私は「これはどうにもならないことだ。私自身で片つけるしかないでしょう」「どうするんだ」「これから考えるよ」・・・衛生学の教授は毒物学では世界的権威、山岳部の顧問、 と聞き、親友の山岳部員に教授の性質を聞き、勝負にでました。教授の所に行き、事情を話し、「要するに判っていれば良いと云うことで、一週間後に参りますから、教授直々口頭試問をして下さい。一問でも答えられなかったら落として下さい。」「判りました、そうしましょう」・・・一週間後、教授室に行きました。教授の前に座ると、教授は「君、この場に及んで勉強しない訳がないでしょう。しかし、私が本気で質問すれば全て答えられる訳も無いでしょう。所で君は、何か運動しているのか。」「ハイ、卓球部です」「成るほどね!スポーツマンか。」「まあ御茶でも飲んで、適当に時間を潰してから帰りなさい。余り早く終っても、何だから・・・」一問の質問もなく、クラブの話を聞かれて終りました。無事卒業出来たと云うことになります。この経緯だけはお袋に云えませんでした。それほど深く受け止めていた訳ではありませんでしたが、卒業して何年も経ってから、 卒業出来ない夢を何度も見るのです。そのうちに、夢の中で、でも今俺は歯医者を実際にやっているのだから、卒業しているんだ。これは夢だと自分に言い聞かしているところまで行く夢でした。最近は見ません。 ○5年生の時だったと思います。何か嬉しいことがあり、皆で飲もうと云うことになり、いい加減酔っ払った所で、もう一件と云うことで東長崎のあるバーに入りました。そこのママもホステスも無論我々も相当酔っていました。さあ帰ろっとなった時、勘定をしていると、「みんなっ、この酒持って行きなっ」とボトル一本くれたのです。仲間の一人が「これもいいだろっ」て棚からもう一本取ったのです。その時は何も言われませんでした。所が、翌晩仲間の一人が又飲みに寄った所、ママが悪酔いしていたのか「夕べ、酒とか色々盗んだ」と云われたのです。当人開き直って警察でも呼べっとやったらパトカーを呼んでしまったのです。窃盗容疑で連行されてしまいました。パトカーの中で"おまわり"が女達とじゃれ付いていたのを見て、彼は取調べを受ける段になって公務中に証人として同行させた女といちゃつくような刑事の取調べは受けないと申し立てたのです。すると別の刑事(上司)が来て「私が聞こう」と云うことになり朝まで取り調べが続いたのです。朝までかかったのは、証人の言い分「何人もいた」と「俺一人だ」頑張る彼の言い分に食い違いがあった為でした。留置場から出され、結局「共犯者」を一人連れてくれば勘弁してやると云うことになったのです。「おいっ神谷、今夜何も云わずに付き合ってくれ、警察に行き、俺もやったと言ってくれ」と云うのです。何だか判らねえけどいいよと云うことになりました。目白警察に行く途中「お前は何をやったと聞かれて答えられないとまずいから、何をやったか教えてくれ」と彼に聞くと「色々カッパラッタと云えばいい。トランプとか置物とかだ。実は」と一部始終話してくれたのです。部屋に戻って見たら色々あったのだ、やった奴は大体判っているんだが、奴を出すと話がこじれてしまうと思ったのでお前に頼むのだ。あの刑事は大丈だ・・・!!! 大体調書は出来ており、サインしました。「トコロデ、お前らは何か運動しているのか?」「はいっ卓球部キャプテンです」「山岳部キャプテンです」「馬鹿野郎!そんなことと思ったよ。前科が付いたら歯医者になれないのだぞ、判っているのか、それにだ、お前らは誰をカバッテいるのか知らねえが、やったかどうかは目を見れば判るんだ。世話焼かせやがって、もうあんなバーへ行くんじゃねえぞ!もっとも行ってもやってねえけどなっ」彼が寄って見たら営業停止となっていました。 【 社会人となって受けた講義、試験 】 ○労務管理士資格ある時、労務管理に関する講習会の案内が来ました。暇つぶしに参加してみました。講義内容は聞くに値するもので真面目に勉強していました。講義中、「これ大事ですから」「ここは是非覚えて下さい」を連発するのです。講義が終わったので帰ろうとすると、とめられ、「資格試験」をすると云うのです。「聞いてねえ」と云っても遅く、問題用紙が配られ、受験する羽目になってしまいました。結果は満点合格で労務管理士の資格取得と云うことになりました。その時、歯科医師会員であるK氏も参加し隣に座り、真面目にノートをとっておりました。しかし問題用紙は白紙に近いままでした。労働三法に関する知識等を得る良い機会でした。 ○損害保険代理店資格(普通) 委員長であった私と副委員長のO氏(国立出身)と担当理事(武蔵出身)のT氏の三人で資格をとりにかかりました。O氏は一応勉強し、T氏は責任を感じたのかまともに勉強しました。私は、何も勉強せずに、いきなり過去問数年分に挑戦し、出来なかった部分について、参考書を読み、間違える傾向を抽出し(四択、五択)、「自分の感覚ではこれに○付けるが、実は間違いで正解はこっち」と云う具合に適当にやり、試験に臨みました。結果はT氏が90点を超え、O氏と私は大差なく80点代で3人合格しました。会員の損保を一手に受けて、利益を会員に還元する画を描いている途中の出来事でした。歯科医業環境改善検討委員会なる全国では例がない委員会(徹底的に会員にプラスになることをしようと云う主旨で設立)は馬鹿なお偉いさんによって潰されてしまいました。ホームページに紹介している、「診療室改装のマニアル」はその時の成果です。その他歯科材料価格調査を行い、業者に適正価格の設定指導をしました。この報告書は「医歯薬新聞」に原文のまま掲載されました。「投稿の形で掲載しましたが、一字も直す必要が無く、完璧なものでした。これは珍しいことなんです。特に業者に対する配慮の点で感心しました。」「新入会員のためのオリエンティション」を発案企画実行。「緊急時の代診派遣制度」の検討も行っていました。しかしながら所詮会を牛耳る位置にいる者はポジション狙いにご執心で、会員の為に何をすべきかなどとコレポッチも考えておりません。 ○区画整理、再開発事業に関する勉強会 泊まりこみで、講義を受け質疑し勉強しました(延べ8日)。練馬駅周辺の再開発事業を潰すことに役立ちました。練馬区からの呼び出しで出かけた所、関係職員に囲まれ、私一人で対応する場がありました。連中が束になってかかって来ましたが、可愛そうに私にコテンパンにやられ、私を説得すれば事は成ると云う読みは悪くはなかったのですが、私を説得出来る度量が自分達にあると思ったことがいけなかったのです。彼等の考えることは私が予測し得る中の一部に過ぎないと云うことが判ってなかったのです。再開発事業に関わっている歯科医の方くれぐれも慎重に、取り敢えず印を押さぬこと、準備組合をつくらせない事です。ご一報下さい。ご指導申し上げます。 Point1 ・・・説明会とは内容は関係なく「開催したと云う事実」だけがあ れば事を進めることが出来るのです。意見は聞くだけで良く計画に反映す る為に聞くのでは無いと云うことです。 Point2 ・・・「清算」と云う二文字について良く知ることです。具体的説 明は絶対しません。 Point3 ・・・立体的区画整理事業を市街地再開発事業と云います。資産価 値がゼロに向かって行く建物と資産価値が増して行く土地との間に等価交 換と云う数式は成立しまぜん。次元が違う二者を数字のマジックで処理す るナンセンスさを考えましょう。 Point4 ・・・準備組合をつくり、加入することは、賛成とみなされます。 都市計画を進める一段階と云うことです。 Point5 ・・・補助金など事務費、事務所運営費以外はビタ一文出ません。 もともと行政側が出すべき費用(道路用地費用、公共施設用地費用、道路 建設費、公共施設建設費)を補助金と言い換えているのです。 Point6 ・・・組合施行型は拒否するべし。価値があれば企業が積極的に参 加します。自治体施行型は最終責任をとる形ですから内容の検討が肝要。 Point7 ・・・組合施行型の末路は家、土地を無くし、借金を背負わされ破 産の憂き目に会わされます。 [参考]・・・「自治体研究社」と云う出版会社に問合せすれば、資料の提供、 勉強会への参加が出来ます。 【 患者さんから学ぶ 】 ○「近くだから昼休みにお茶飲みに来て下さい」と云われ、出掛けて、世間話から始まり「金融業」の裏表の勉強をタップリとしてしまいました。裏街道の知識もタップリ、新聞記者(朝日)、刑事さんとも仲良くなりました。 ○狭い院長室ですが、美味しいカフェ(無論一歩堂ほうじ茶も)を用意し、患者さんと色々な話が出来るようにし、「喫茶カミヤ」など云われています。色々な出会いがあり、私の人間関係の輪は確実に拡がりました。そんなことが出来たのも患者さんが少ないからでした。何か悩みがあると感じ、「こちらにどうぞ」と招き話しをし、子供が登校拒否して、父親には「お前の教育が悪い!」責められて悩んでいるお母さんでした。「ご主人は伝家の宝刀を抜く羽目になるかも知れないことが怖く、逃げているだけなんですよ、無関心ではありません。そこは判ってあげて下さい。ひとつやってみましょうよ。学校へ行く交換条件でオーディオセットを買ってあげたのでしょ、お子さんがそれで学校へ行く約束を破ったのですから、お母さんの手で、そのオーディオをトンカチでぶっ壊してしまうことです。出来ますか?高いものだからもったいないと思うでしょう。だから子供に足元を見られて勝手なことを言わせることになるんですよ。」「子供の目の前でぶっ壊しなさい。」「それから、近いうちにツッパリに朝迎えに行かせるからと息子に伝えて下さい。私が手配します。」・・・ツッパリが怖くて学校に行き始めました。 ○最近ではケアマネの資格試験受験の機会がありましたが、現場を知らない馬鹿共が作った介護度判定の中身に腹が立ち真面目に取り組む気になれずやめました。 【 地域活動編 】 歯科医師は地域におけるオピニヨンリーダーたるべし。そんなことで仕事をしました。 ○地下鉄12号線建設計画が実行に移された時、私が住む豊島園は、工事直面地域となり、補償問題、工事中のトラブル解消を目的とした住民運動が展開された。町会と連携した形で対策会が組織された。ひま潰しに総会に出てみた。色々説明があり、質問の時になって誰も手を挙げない。幹部の方が可愛そうになって、質問してやった。閉会されたので帰ろうとしたら、声かけられ「幹事になって手伝ってくれないか」と頼まれてしまった。引き受けてしまった。暫くして運営上、幹事から常任幹事制を執ることになり、常任幹事にされてしまった。私の役割は「役人の言い分、提案」について信頼出来る、出来ないの判断、役人の言動の分析をすることであった。他に戦略、戦術を練ること、自民党の都会議員への協力依頼も役割であった。住民運動と云えば、「社会党、共産党が入り込んで来て会を引っ張る形となるのが一般であるが、そうはさせなかった。」「目的達成の為にどうすべきか」を念頭におき、活動した。東京都交通局の測量に関わる重大なミス、工事用地範囲指定に関わる疑惑(明らかな不正)を突き止めたことで勝負はあった。しかし、その一件を明るみに出した所で、公共事業がストップし、役人から縄付きが何人か出るだけだ。それより、この件を不問に付す代わりにこちらの条件を全て飲ませた方が良いと主張して、彼等と非公式の会を持ち、そこで話をつけた。役人を動かすには動かせない証拠に裏づけられた恫喝あるのみと云う戦法であった。こう云ったケースでは、社会党や共産党の地元議員がリーダーシップをとっている住民運動体では、明るみに出して、役人をやっつけて、本来の目的をそっちのけにして「勝った、勝った!」とはしゃいで終るのだ。都交通局は工事のストップ権を我々に渡した。補償問題でも範囲を拡げることを承諾し、集会所の設置についてもOKした。洗濯コーナーの設置については、必要なしと判断して我々の方から「なし」にし、工事のストップ権を行使したことは一度も無かった。静かで、きれいで、安全に工事は完了した。役人には、住民がなんとも思わず即受け容れるようなことを大事として、神経質になり、住民にとって大きな問題に無神経な対処をする形のものがある。我が住民運動体にはそのズレを感知する役割を私が勤めたような気がするる役人側には問題解決の為に人事異動までしてその面の達者な者を交渉役として来たのだ。のっぴきならない事態はあっと云う間に打開され、工事が始まったのだ。その間、内緒で座敷に呼ばれお願いされたこともあったが、二つ返事で引き受けたが当方にして見ればつまらないことだったので内容は忘れた。いずれにしろ長い運動だった。歯科医師会内での活動と違って、やりがいのある、能力を駆使出来た6年間だった。 ○練馬駅北口、南口における再開発事業への反対運動 練馬区と商店会の一部と談合して、再開発を仕掛けられたが、セオリー通りの措置をし、反対者は団結し、勉強を重ね、会報を発行した。全国的に問題となり、多くの訴訟が起されて、所によっては提示する計画に問題解消の兆しがあると云う時に、遅れている練馬区は問題点だらけの旧いパターンの進めかたをして来たのである。つぶすのに訳無かった。「私も色々勉強して見たが、神谷君の言う通りだ。問題あり過ぎる。でも立場上進めなければならないと云うことも判って欲しい。」街づくり担当助役に本音を吐露された。準備組合設立が出来ない条件をクリアした状態を維持することで北口については対策は終りであった。準備組合まで強引に設立した南口は、反対の有志から頼まれ、再開発事業の実態を講演し、今後どうするかについて指示した。彼等はそのその通り実行した。署名捺印された不参加意志表明書を提出した結果、区長室から各個に呼出しの電話があり、相談された時には、「用があるなら自分で出向け、区民を呼び出すとは脅しだ」と返事させた。商店会長が区と結託して強引に進めにかかり、暫く綱引きが続いたがバブルの崩壊と共に、終わった。 ○診療所付近の都市計画 勉強会に参加していて、環八工事の再開にあわせて、用地取得を容易に行う為に、この地域に「地区計画」をうってくるに違いないと読んだ。そして、地元の有力者(大地主)に内諾を得にかかる区の腹も読んで、何人かの患者さんに手を打って置いた。その通りになった。落とし穴があることを教えにかかったが、「お上のやることには協力せにぁなんベー」と地の有力者は耳を傾けようとしなかった。区の思惑通り事は進み、後でごたごたしたようだが、それは手遅れ。富士街道は相変わらずの状態。街づくりなんて全くのウソ。環八工事は姿を見せる所まで進んでいる。路面の厚さが気になる。開通して直ぐボコボコになると思っている。練馬は益々汚染空気で囲まれ、バッチイ所になる。 ○ちょっとした道路計画 富士街道は都道である為、都が用地買収、わき道は区道であるから区が用地買収をする。所が同じ地域で用地買収の基本価格が2割程違うのである。患者さんがこぼしているので、教えてあげた。都が提示している価格を要求しなさい。通る筈です。練馬区は汚いから、正規の価格より2割程低くして提示して来る悪い癖があります。その通りになりました。 ○同じ富士街道沿いで、ビルを作ることになり、建築確認申請を出した所、富士街道の拡幅の為寄付して欲しいと言われた。どうすれば良いかと相談を受けた。区に寄付しても、拡幅の際は区は都にその用地を売るのですよ。寄付するなら都に直接することです。今はセットバックして建築することで立派な協力なんです。建築確認申請とは許認可ではありません。建築基準法に法っているか確認する業務で、区が受理するとかしないとか云う筋合いのものではありません。ぐずぐず云ったら、会社の顧問弁護士を派遣すれば、すぐ解決します。付随した条例がありますが、それはそれでクリアすれば良いことです。 ○独居老人の緊急通報システムの開発 ある時、「今からお邪魔していいですか、お願いがあるのです」と云う電話で来た人が老人ホーム事業家として有名(猛烈女性経営者としてNHKの番組で紹介されたことがあります)なオバァチャンでした。独り住まいの老人に必要な緊急通報システムを開発し、実験する段階で、モニターとなってくれる独り住まいの老人を探している。練馬区役所に行き協力要請したら断られたとのことであった。その時、区の職員が「高松に歯医者さんで神谷と言う地域活動家がいる。そこに行かれてはどうですか。」と云われたのだ。コンピュータの端末が20と云うことで20人のモニターを手配し、10数人集めどうにか実験が始められた。NTTで商品化されている。 ○暴走族対策 昭和54年4月に開業し、隣は高松駐在所。間もなく新任のおまわりさんが赴任して、色々と熱心に活動をしていました。ある時、駐在さんがボーナスをハタイテ野球道具を揃え暴走族対策をしようとしていると云う噂を耳にした。例のお茶のみ先で事実であることが判り、それは地域の問題だ、駐在さんの家庭騒動のもとだ、我々の手で野球道具を揃えてあげようと提案し、賛成してくれた。暴走を止めさせる為に野球をやらせようとしていたグループは「ミナゴロシ」と云う暴走族であった。練馬一のツッパリは近くの中学にいた、ラインが出来ていた。監督、マネージャーを我々で勤め、彼等との連絡は駐在さんがやった。何度か試合もした。しかし、彼らには何も無かった。自立心も無ければ後輩への思い遣りも無く、ただ自分達に良くしてくれる者をいい大人だと云う感覚しか無く、一本筋金が通っている大人には一目置き、そうで無い大人にはやりたい放題、ある時「馬鹿呼ばわり」すると喰ってかかって来た。「親にも言われたことが無い」と。「じゃあ、お前は利口なのか」とやりかえすと、「そうは言ってねぇ」「利口じゃなければ馬鹿しかねえだろうっ」とどやすと、黙ってしまった。納得したのだ。しかし、彼等には見込みは皆無、時間が経ち、なるようになるとしか言えない。私は空しかった。未だに独りとして挨拶に来た者はいない。 ○ツッパリ対策 夏休み中にちょっとした踏み外しで警察沙汰となり、取り返しの付かないことになるかも知れないと云うことで、練中のツッパリを管理することになった。一ヶ月の中、管理を買って出たS氏が夏期休暇をとり不在となる一週間を私が受けた。こちらの都合で気が向いた時、集合の声をかけるのである。彼等の予定は全て破棄となり、指定場所に全員集合させる。お茶のみ、晩飯喰い、解散となる。話題は行き当たりバッタである。よからぬ計画を立てていても我々の電話一本で皆ぶち壊されることになったのである。何も知らない、三歳の我が子に「おいっツッパリ遊ぼう」とやられて頭を掻いて「坊や、ツッパリはやめてオニイチャンと言ってくれないっ」と頼む様子は見ものであった。街中で彼等に出っくわすと「あっツッパリだあっ!」と大きな声でやられる。彼等曰く「俺達は悪だよ、でも俺達の影に隠れて悪さしている奴が結構いて、それに気付かず、自分の子は良い子だと思っている親がいてさっ、俺達と遊んじゃイケナイと言っているんだ。笑っちゃうよ。」彼らが影薄めてから「いじめ」が蔓延り出した。カンパと称して生徒達から金を集める、小遣いのほんの一部にとどめる形で、無理して高額にすると親にバレ警察沙汰になりかねない。恐喝のテクニックである。懐を確実に読み、警察に駆け込まれないだけの金を巻き上げる能力は暴力団で出世する為の必須条件であると云う。又商売上、取引先の支払振りの良し悪しが読めるかに繋がるとも言える。しかし彼等の存在は陰湿な悪さの出番を許さなかったと言える。 【 税務調査編・関連したあれこれ 】 開業している方の殆どは体験していると思います。決していいものではありません。理不尽な目にあった人もおります。会に、友人に相談することもあります。大概は主張は控えて不満ながら印をついて終りにしています。自分の落度、ミスを棚に上げて、相手のミスを攻める戦いが出来る人はそういません。又アドバイスをされて、その通りに実行するのも大変なことです。又歯科医師会に税務担当理事とか、長年上部組織の税務畑で活動している人でも、真に税務のことが判っている人はおりません。政治連盟と同じで、税務署幹部との会合で彼等と握手してニコニコしている輩ばかりです。以下の内容については、事の良し悪しより、物の考え方を読み取って頂きたい。 ○昭和46年より父の診療所に入り、7年目に税務調査に遭遇した。丁度弟と交代し、私は開業の準備に入っていた時でした。無論調査の対象は弟は無関係であり。開設・管理者は父でした。私も無関係と云えば無関係と云う状況でした。但し、7年間父は殆ど診療してなく、収支については何も知らなかったのです。税務申告書の作成も、私が入って最初の年に父を怒らせ「そう云うなら自分でやってみろ」と云われ、「よしっやってやろうじゃないか」と以来、税務申告書の作成をして来ました。しかし、申告者である父は「こんなに一般(保険外収入)がある筈がない」と大幅にカットして申告していたのです。これには参りました。そして7年過ぎ、調査を受けることになりました。私が対応する以外なく、父の無茶苦茶な言い分で過少申告を続けたツケがまわろうとしておりました。しかし私は「守る価値あり」と調査日の日を延期させて、作戦を練りました。技工書伝票を見ながら徹夜同然の一週間でした。調査には、帳簿なし、伝票なしで対応することに決めました。 1 言い訳不可の部分を事前に資料として出す。 2 言い訳可能で修正する部分として中途で出す。 3 突っぱねる部分については、調査前にある雑談中に布石する。 4 カルテ提示要求に対しては敵の誤りを指摘して謝らせる。 5 パラのフルクラウンを自由診療としてみなすと来ることに対しては、 出たとこ勝負とする。 6 追い込んだ状況になった時、決済者は父であるから、後は父と決めること を提案し税務署員をほっとさせる。 若い署員でした。雑談が30分程あり、敵の意図に逆らわずに答え、こちらの布石にも乗ってくれました。帳簿、伝票の提示が求められた。何もなしと対応、署員怒る⇒「今まで数多く歯科医院の調査をした来たが、初めてだ。」 「保険収入はオープンだ、自由診療分だけがオタクたちが知りたい対象だ。トータルは申告書に書いてある。何も問題ないでしょっ。今年の分の帳簿の提示を求めたことがあるか、どこの歯科医院も無いよ。申告時に一年分の帳簿を税理士が作っていること位知っているだろっ。どれだけの差があると云うのか。それでも納得出来なければ、神谷歯科医院の青色申告資格取り消し処分でもしてくれっ。」カルテの提示が求められた。拒否した。理由を聞かれた。「守秘義務」だと答えた。すると「私にも守秘義務がありますから、問題ありません。見せて下さい」ときた。「俺の守秘義務とお前の守秘義務とは別個のものだろっ!いい加減なこと云うな!お前は、そう云うデタラメ、嘘を言って、会員の税務調査をして来たのか。許さん!」「カルテを見たかったら令状持って来いっ!」と烈火のごとく、怒って怒鳴りました。無論演技です。彼は謝罪しました。私が患者に出した領収証を手に聞く戦法に出ました。「申告書との数字が合わない」「 お前なっ、その領収証が全部自由診療分と思っているんだろっ」「違うんですか」「俺は保険分も出しているんだ」「他の歯科医院と同じに考えるなっ。」「判りました、ではこの患者さん達の分については・・・」数名の名前が挙げられました。「ああ、それねっ、親父よ、引き出しに入っている封筒持って来てくれっ、来年度申告に追加分と書いてあるから」「どう云うことですか」「いや、後で入金して来たのでそうすることにしたんだ」「先生っ、申告の原則では入金日で処理するのではありませんよ。その分も加えて頂かないと・・・」「そうなんだあーっ」(そんなこと知っているよ)と問題解決。そしていよいよパラのクラウンブリッジの攻防に入った。「先生の所では鋳造冠主体でパラでやっていますね、これは保険では赤字になりますから、自由診療となりますね、すると大分違ってくるんですよ」「なんだ、そのパラは皆自由診療となるってえのは、保険に決まっていると云うのに、」「いゃあー先生、私は歯科に詳しいんですよ、パラでやったら完全赤字だと云うことは知っているんですよ」「じゃ何か、少しでもプラスがあれば保険だと云うのか」「はいっ」「よーしっ、保険点数は5○○」「いやっ違いますよ、3○○点ですよっ」「貴様、素人がプロの俺に向かって点数が違うと云うのか、まぁいいっ親父点数表を持ってきてくれ、こいつに見せてやれっ」この署員昔の点数を基準に赤字になると決めてきたのだ。「技工料○○円、金属代g○○円」「先生、パラはもっとする」「お前はなにを事前調査して来たのか、うちはパラをまとめ買いしているのだ。」「ほれっこれだけのプラスが出る、文句あるか、」「貴様は歯科に詳しいと云いきったが、お前の歯科に関する知識は偏見の域を脱してない。今までその偏見をもって歯科医院の調査をしていた訳だ。許せねえなっ」彼は謝罪した。そしていよいよ、「先生、この二人の患者について、技工所の伝票に載ってないんです。」どうしたんですか。他に技工を出していると云うことですか。「いや、それはねえ、たまには自分で作って見ようと云うことで友人のラボを借りて作ったものだ」「その友人とは誰ですか、連絡して確認したら納得します。」「迷惑かけた上、税務所からの問合せをさせ、嫌な思いをさせられるかっ、絶対に言わない。あんたがどう解釈するかあんたの勝手だ。」彼は、黙り込んでしまいました。下向いたきり何も言わなくなってしまったのです。「今だ」「俺は、ここの責任者ではない。現場を動かしてきただけの身、後は申告者である親父と話合って、結論出してくれっ」「いいんですか、それで」「別に俺が税金払う訳じゃねえよ、じゃ俺は帰るから」玄関におくりに来た親父に「多分奴はクラウン20本分の申告洩れで処理しようと言うから、5本だと言え」と言って帰宅した。くたくたであった。後日、「クラウン20本にして全部で約100万円でサインして終った、婆さんが早く終らせろと言うもので」もう時効だから言うが7年で5000万から7000万円の過少申告があったことは確かであり、形振り構わず、自分が悪い所も棚にあげて、戦う価値がある金額であった。大分後で知ったことであるが、父が練馬に開業した時、歯科医師会と税務所がなあなあの関係であり、税収を上げるため歯科医師会と話し合い、会は新入会員から一律○○修正申告させると決めてしまったのです。そして父の所にも修正申告せよと云うことになり、資金繰り出来なく、お袋が税務所に相談に行った所、慌てたのが税務所、「父をフグシャ扱い」として非課税措置を採った経緯があったのです。今では考えられない昔の話です。しかし、その話を聞いていたら、税務調査は無くすことが出来たのです。人権問題として税務所を攻めれば良かったのですから。会の新入会員いじめは相当あったようです。他の歯科医師会の昔はどうだったか知りませんが、我地区には「睨まれると何かされる」と云う雰囲気がいまだに感じられます。時の流れは会を良く発展させませんでした。会務執行の質が昔に比べ落ちて行くのが気になります。感性、インテリジェンシーに欠ける歯科医師の中に会員を不利な目に合わせることが出来る実力者など会にいません。そんな時代ではありません。 ○新規開業して初めての税務調査 変な筋から変な来かたした税務調査でした。様子をみる考えで、「気の弱い、真面目な歯科医を演ずる」戦法で対処しました。陰険な野郎で、その中に調子に乗って計算し、「あれあれ、こんなになってしまいました」なんてこいていました。私は「納得できません」と返事を繰り返しました。そして電話が鳴りました。出ると野郎が「先生、なんだかんだと言っても、こちらは全部判っているんですよ、こちらの思うようにできるんですよ」と言ったのである。「馬鹿者っ!全部判っているなら、何故調査するんだ、だったら、書類作って持って来いっ!後は俺がハンコウ付くだけだろっ、待ってるぜっ」これで彼は吹き飛んでしまいました。さの後野郎の上司から電話があり、「何か、行き違いがあったようで、彼を連れてお詫びに伺いたい」「何も手違いはない。そちらの思うように出来ると言うので、俺はハンコウ持って待っているんだ。貴方の出る幕ではありませんよ。俺は野郎の面わ見たくない、声聞くのも嫌だ、名前聞いても虫唾が走るんだ」ポーンと電話を切ってやった。暫くして又電話があった。「全て白紙に戻して、私と一度話し合いをしてくれませんか」「結構だ」鋳造床の伝票が二段階で伝票が発行される事実を証明すればおしまいにすると云うことであった。その資料と説明を夜間受付に放り込んで終わりになった。馬鹿な野郎が俺を脅かしたことが墓穴を掘ることになったのである。野郎の電話は「更正決定を打つ」と云うことであり、完全な証拠を基にしか出来ないことなのである。 ○そのうち又来るだろっと待っていた様な税務調査 玄関先で「俺はもう嫌だ、俺の所の収支は領収証で全部判る、これ預けるから、そちらで見て、修正申告書を作って来い、何も言わずにハンコウ付くと言うことでどうだ」「判りました」申告時、かみさんの作った資料に未集金が入ってないことが申告直後知りました。その分は間違い無く修正申告対象になる筈、金額にして80万円、それにいくら足してくるな!・・・・・・・そして彼が来た、約束通り書類を広げ印を付きにかかった時頭に2の字が見えました。「あっ畜生めっ200万にされたか」と思いながら、印を押し、良く見ると20万円でした。「えっ80万はどうした、まっいいかっ!」もうこれで税務調査は無いと思います。戦って守った一件、敵のミスに付け込んで撃退した一件、ゲタを預ける形で得した一件ともかく、最初の経験から、帳簿はつけないが、全て申告する形が調査には、堂々と対処出来、その方が気楽だと思っていました。 ○番外編 母から電話が入り、「今税務署が来ているのだ、私調子が悪いので、一寸来ておくれ。 税金はなんぼでも払うから、終りにしてくれ」と頼まれて、実家(弟)に飛んで行った。 非常に気まずい状況となっていた。父の話では、弟がボロを出し、変につっぱり、すっかりこじれていまっているとのことでした。母が如何なる修正にも応じると云うので、税務調査員を外に呼び出し、その旨伝えた。署員は条件を出した。「カルテを見たい。株のことも聞きたい」と言う。弟は拒否していた。「カルテについては守秘義務で見せられない」「何処でも見せて貰っている。我々は見れるんです」と彼は云った。「おたく、捜査令状持って来たの?まさか法的に見ることが出来ると思っているんじゃあないだろうな・・・俺はカルテを見せる見せないの論議などしたくない。そんなことでおたくを攻めてやっつけるのもかったるい。お袋は今体調がすごく悪いんだ。何でもいいから終りにしてくれ。おたくの作る修正申告書には印をつく。奴は勤務医だから、決済権はない。俺が保証する。それから株、歯科医院となんの関係がある。ついでに調べると言うの、それはお袋がやっている。体調悪いから、俺が相手だ。」とねじ伏せて終りにした。カルテ提示を拒否したのは結構だったが、無断で引き出しを開かせて中を見られるようなことをさせたのはドジだった。そこで令状の提示を求めて追っ払えば良かったのだ。後メタイことが多い場合の税務調査対応策はトラブルを起し、収めようが無いほど拡げにかかることである。但し調査員が若い(出世街道を走る途上にある)場合である。どっちが良い、悪いは関係なく、トラブルを起すこと自体が経歴に汚点が付く。彼等はそれを嫌う。出世に関係ない、たたき上げの年寄りの場合は、始末が悪い。手は一つ「アイツの調査には応じられない。他の署員なら協力する」と上司に電話すれば良い。又、もし又調査に出会ったら、彼等は「ご指導したい」と云う形で連絡をよこすのであり、決して調査とは言わない。「私は税務には詳しく指導の必要はありません。良く判って無い者を指導してやって下さい。どうしてもしたいと言うのであれば、夏休みの暇な時、私から出向きますので、その時色々教えて下さい。ではっ」と電話を切ってやつたことがあるが、今度は「私は優秀で、詳しいから指導は不要」と返事してやることにする。この「優秀」に意味がある。狂牛病問題で、英国から対策に指導したいと連絡があった時、日本の厚生省か通産省かが「当方は優秀なスタッフがいるからご指導受ける必要は無い」と言う態度に出たのです。そして不始末のオンパレードをしたのです。業者も悪いが、一番責任を取らなければならないのは役人なんです。 ○某歯科医院の税務調査であった話 通常の調査では無く、国税が絡んだ調査だったとのこと。申告はきちんとしているから、変なものが出ようが無いと云うことであった。「そのまま」の連発に合ったことは云うまでも無い。しかし、調査中に何度か「電話を借ります」と診療室の電話を使用したのである。そして今日はここまでと云うことになり、調査員の一人が「電話代をここに置きます」と云って100円玉を置いたのである。そして引き上げようとした所で、彼は「待て、君達は税金で仕事をしているのだろう」「当然そうです」「ならばこの電話代100円はなんだ。2,3回使っただけで100円払うとは何事か、税金の無駄遣いだ、許さんぞっ」と声荒げて抗議した。そして調査は終わってしまったと云うことである。「どうだ、私もやっているんだぞ」と云う話。 ○カルテ提示を拒否出来なくて・・・ ニセパラ事件が取り沙汰されていた時のことである。技工伝票とカルテを照合され、パラの購入がゼロであることから、銀合金とパラの差額を自由診療として計算され多額の修正申告をさせられたのである。カルテを見せたからそうなったことは確かである。ニセ薬事件の時は医師から逮捕者は一人も無かった。歯科医療の目的は達成出来ている状況で、逮捕者が出た。バランスを欠いた措置であった。当時各省間合意でこの問題に関しては情報の交換をすると云うことになった。守秘義務違反に優先する各省間合意などあろう筈が無いのである。パラの含有量など経済政策の一環で適切な医療とは無関係だったのである。厚生省には連絡しないと暗に脅されガバッとやられた歯科医は少なくなかったようである。 ○歯科医院の帳簿の正確性について、 旧年度の返戻、査定、減点等がある保険診療報酬の世界、正確な数字を期待することが間違っていると思いませんか。厳密に云えば、申告が完了している所に前年度、前々年度の返戻、査定、減点等が生じ、その度に修正申告しなければならないと云うことになります。他の業界には無い会計処理をする必要など無いと考えれば、日計、月計表をつくり数字を合わせている人がいるようですが、無駄だと思います。会計ソフトを活用して作成した帳簿の計算が違うと言った税務調査員がおりました。彼は大人しい会員にどやされました。どんなに正確性を期しても、データ入力しないと云う所で疑ってかかられますから苦労するだけ損と言うことです。帳簿は税務署の為に作るのではありません。収支の把握、経営上の参考にする為のものです。殆どの仕事をやらされ、最後そのデータをバイトにコンピュータ入力させて多額の報酬をとる税理士、そろそろ縁を切った方が良いと思いませんか。適切に申告し、税理士に払う一部を納税額に足してやった方が利口だと思いませんか。税理士はお客の味方ではありません。税務署の味方なのです。意図的に過小申告したとしても調査に合わない限り、そのままです。調査に合って露見したら、その分修正申告すれば良いのです。領収証を出すとか、出さないとか云う低次元のことは考えないことです。領収証を出さなかったからといってバレない訳ではありません。出したとしても、調査に合わなければその分外しても判らないと云うことです。まして領収証を発行しない代わりに料金を引くなんてことは馬鹿げています。正規に徴収して、税金を納めた方が計算上も得です。 ○経費になるからと金を使う御仁がいる。いくら経費になるからと云っても使えば残るお金は減るのです。経費で如何に生活するか、所得の分離、控除額の拡張が節税対策の要であることをもっと知るべきです。30ほど前に、東京都歯科医師会調査室(税務)にて仕事をした時、担当理事が検討課題として「リースの利点、欠点」を挙げた。即座に結論して論議を終わらせてやった。医療機関にとってリースの利点は無い。もしあるとすれば融資が受けられない場合だけである。日進月歩する機器の場合、中途で買い換えるのに便利と云われているが、医療機器については実際には活用されず、利点にはならない。医療機関と金融機関、医療機器材料業者と云う流通の輪に新たにリース業者が入り、そのリース業者の利益を負担するのは医療機関です。有利な要素は何一つ無いのです。経費になるからと云われますが、何が経費になると云うのでしょうか。金融機関から融資を受け、減価償却で9割分支出しない経費(実質的には所得)として扱い、借入利息を経費計上する方が有利に決まっているのです。もっとも夜逃げには身軽ですが。笑い事ではありません。最近は莫大な借金を抱えて夜逃げをするケースが少なくないのです。しかし、それも浅はかな行為なのです。逃げ切れるものではありません。又歯科医師である以上自己破産は出来ません。ライセンスがある以上少しでも返済可能であると判断され、認められないのです。 医療事故?編 ○長いこと臨床にいると色々なことに出会います。最初は貧血起された位でドキドキしました。問診さえきちんととっていればそう云った思いもしないで済みます。しかし、一寸した油断で起こります。銀座に勤務していた時、アポイントが続いてキャンセルされた直後、新患が来ました。若い娘さんで、日焼けしていて、健康そのものに見えました。歯石を取って欲しいと云うことでした。「よーし、暇だ、麻酔してがっちりやるか」とシンマをしました。様子がおかしいのです。内心「シマッタ」と思いました。直ぐ寝かせて、酸素吸入を開始し、話を聞きにかかりました。「私、心臓病があるんです」大事には至らなかったがついうっかりを戒めてくれた一件でした。日焼けしていたのでは無く、病気からくる色黒だったのです。⇒問診で回避可○前回は平気であった患者が、その日は「息が出来ない」と苦しみ出し、主治医が近くにいることを知っていたので、電話したところ、駆けつけてくれた。患者の側に座るなり、「もう大丈夫だよっ、さぁっゆっくり呼吸して・・・」聞けば「昔、抗生物質でショックを起し、呼吸困難になったんです。それを連想して自分でどんどんおかしくしてしまったのです。大丈夫です。心配ありません。」と云うことであった。シンマの際麻酔液が洩れて喉に流れたことにより、気道が狭くなったように感じて始まった発作でした。 ⇒問診で回避可? ○父の診療所に入った時、中年の女性が来院し、義歯装着の邪魔になる下顎の8番の低位歯の抜歯をポーンやってしまったのです。きちんと縫合し投薬しました。翌日になって旦那さんから電話が入り「女房が寝込んでしまっている。どうしてくれるんだ」と云うのです。近くだったので昼休みに診に行きました。聞けば・・・下顎に麻痺が来ていたのです。下歯槽管を傷つけたようなのです。それから一年攻められました。「そう云う可能性のあることを事前に説明しなかった点は私のミスです。」とだけ答えてました。彼は大學病院、知り合いの歯科医師に私の医療ミスを証明すべく立ち回っていました。そして、「色々調べました、聞きました。しかし、先生の処置について異論を唱えたり、ミスを指摘した人は一人もいませんでした。逆にきちんと縫合までしたことに感心していました。」その後、数年して、バッタリ出合った時、「女房は何ともなくなりました。先生の云った通りでした。もう忘れて下さい」と云われ、一件落着。 ⇒事前説明不足、性別・年齢に注意 ○現在の診療所で起きた一件 これは事前に判っていたことでした。シンマで過去に大変な目に合ったと云うので、色々と話あった結果、やってみることになりました。上顎の大臼歯部に注射針を刺して、麻酔液の注入はしませんでした。しかし発作を起したのです。そして救急車を呼び大学病院に行かせました。昼休みに病院に行った所、ケロッとした患者が出て来るのに出会いました。原因不明、発作を起した時良く診ると言われたとのことでした。大學病院で治療を受けるべきと当初説明したことも納得したようでした。 ○誤抜は一度 カンシでしっかり掴んだと思い、持ち替えた時8番から7番に移り抜歯してしまいました。即8番を抜歯し、7番を再植し、固定し、後日歯内療法をしBrの支台として使用しています。その時少しも慌てず・・・と云う姿勢が大事です。便宜抜去は認めておりません。 ○抜歯の中止 30年程前に一度、妊婦の抜歯に手間取り、「もういや」と言われて中止したことがあります。 最近は、中途で慶応大学付属病院口腔外科に紹介し、その日のうちに抜歯して貰いました。レントゲン写真に騙さる典型とのことでした。診て一寸でもやばいと思ったらやるなとアドバイスを受けております。 挑戦的行為は避けるべき。 ○歯牙を破切 下顎小臼歯の単純窩洞のゴールドインレーのセット時、マレットして亀裂を入れてしまったことがあります。謝ってしまいました。 ○Tekをリムーバーでポーンと外しにかかり、歯を抜いてしまったことが一度ありました。 再植不可で義歯に含める形となりました。私はTekを綺麗に作りますので、そのまま来なくなる患者さんが大変多い。 ○埋伏知歯 キャリアがあるのだから、嫌だなっと感じたら自分でやるなっ!と口腔外科にいる友人にアドバイスされて、その通りにしている。所謂半埋伏の知歯など15分もあれば縫合も終わっている位の自信があるのですが。挑戦的抜歯は一切控えている・・・年ですから。最近の上顎8番の抜歯にかかり、感触が悪く、直ぐ中止し、そのまま慶応病院に行かせた。術後報告があり、X線写真に騙される典型であったと云うことである。 |