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[ 瞬間移動した義歯模型 ] : トランスポーティション 「この次にはこの義歯にクラスプ、バネを付けます。今日はその型を採りました。」石膏を注ぎながら説明しました。珈琲をご馳走になり無駄話をしているうちに硬化したのでバッグに入れ、「多分来週の木曜日になります」と言って清水宅を後にしました。翌日、指示書を書きラボに出しました。その技工物は火曜日に届けられました。忘れてはいけないと、その技工物を何時も持ち歩くバッグにいれました。水曜日の夜。明日清水宅へ行くのにバッグを持って行くことはないな、技工物だけ持って行けば・・・と一旦とり出しましたが、丁度バッグの中にクラスプ調整用の鉗子があり、使うかも知れないと考え直し、技工物を元に戻したのです。そして木曜日、午後 3時半に行くと電話連絡して家を出ました。時計を見ながら、駅の側の喫茶店に入り珈琲を飲んでいました。所が、電車の時刻を間違え、結局豊島園駅を出たのが3時半少し前になってしまいました。練馬駅で小手指行に乗り換え、高野台で下車し、タクシーに乗り、清水宅に着いたのは3時50分位でした。こんにちはーと上がり、いつもの場所へ一直線に行き、椅子にバッグを置き、脇のテーブルの下に置いてある電機エンジンを取りに行く間、慣れている清水さん(患者の奥さん)は中間コードを出し、それに電気エンジンの電源コードを繋ぎました。そして預けてある紙袋を取りに行き、即時重合レジンセットを患者が座っている前の机上に、新聞紙を持って来させて敷き、並べて準備完了、「義歯を外して下さい」と言いながら、バッグ中の技工物を出しにかかりました。・・・無いのです。そんな馬鹿な!!!とバッグをひっくりかえして探しました。何処にも無いのです。「えーっ何で???確かにバッグに入れたままなんだけど・・・」そこで初めて椅子に座り、考え込んだのです。
「あれーっ・・・どうしたんだろっ」・・・・・途方にくれた一瞬でした。「先生っこれっ・・・」と清水さん(奥さん)が何やら持って来ました。ひょいっと見ると、何か黄色いものが入ったプチプチビニール袋でした。受け取って見ると、今探していた技工物なのです。「どうしてこれを清水さんが持っているの ?」「わかんないっ、今振り返ったらこのテーブルの上にあったの。先生が置いたのかと思って・・・」「俺、そこには行ってないよ、それにこれは俺のバッグに入れて置いたもので今無いのでどうしようかと思っていたんだ。」「まっいいか!」と作業をしながら「何で?如何して?」を繰り返していました。「さっきはこの上に何も無かったの。私、先生が来るのでお茶の用意でこのテーブルを片付けて、拭いたんですもの」
患者であるご老体は、 15年程前に脳卒中で倒れ、会話出来ない状態で、噛めるようになるのを心待ちにしていました。3時半に着くと云われれば、何時も治療する所に早くから座り、待っているのです。私のバッグから3時半に技工物を呼び寄せたのです。それしか説明のつけようが無いのです。私が行きもしないテーブル上に、ある時(奥さんが拭いた後)からバッグに入れておいた技巧物があったのですから。上図:説明・・・@玄関からA椅子に行きBに行き電気エンジンを持ちCで電源に繋ぐ。使用材料、道具を揃えてDに戻りバッグから技工物を取り出しにかかる。EテーブルA上の技工物を、それが何であるか知らずに、奥さんが持って私の所に来る。着いてから5分と経っていませんでした。勘違いの入る余地全く無し。とうとうやりました。友人、知人の不思議な体験は聞いて (無論信じました)いましたが、私自身の体験は初めてでしたので、正直「やったぁー」と思いました。尚、清水さんとは、日本点字図書館の為のボランティア活動(チャリティコンサート開催)を通しての25年来の知り合いです。訪問歯科診療中の出来事であることは云うまでもありません。[ 一人多い ] もと患者さん、今友達の体験。 肝臓癌で長くはないと云われていました。当人は退院したら家族でハワイに行きたいと云うので、行けるか判らないが予約をして喜ばせていました。しかしそのまま逝ってしまいました。落ち着いた頃が家族旅行の日となり、娘と二人でハワイに行ったのです。不思議なことはハワイに着いてから起きました。現地ガイドがメンバーの確認を行った時です。「一人多い」と云うのです。「大柄の体格の良い男の人がオタク達の後ろにいるが、オタクの連れでは無いのか ?」「うちは二人です」こんなやりとりが行く先々で点呼のたびに起きたのです。そのガイドの説明では「どうも亡くなった主人のよう」なのでした。「あれだけハワイに行きたいと言っていたんだから付いて来たんだわっ!」初対面のそのガイドは普段もそう云ったものが見える人でした。[ 別れに来た悪友 ] 学部二年の午後の実習が始まろうとしていた時、友人の Aが黒い顔を青くしてやって来た。「おいっ神谷、一寸聞いてくれ。夕べな、下宿に帰ったら踊り場の所に俺の部屋の入り口だ。そこに誰かうずくまっているんだ。見たら清水の友達だったんだ。昔ようっさんざん悪さした悪友ってえ奴だ。何時も黙って中入って勝手にしているのに変だな・・・と思ったんだが、中に入れて、遅いから今日は寝るぞと布団敷いてやってそのまま寝ちゃったんだ。朝いねえんだ。何しに来たんだ、朝起きて黙って帰る奴じゃないんだ。そしてよおーっ、今電話だと云うんで、行ったら、清水からで奴が夕べ死んだと言われたんだ。俺夕べ会ったぞと言ったら」"そんな馬鹿な、奴はずうっと病院にいた"と云うんだ。俺に別れに来たんだ。お前この話信用するよなっ!」「こんな時、嘘云うお前じゃないだろっ!」[ 突然、鏡に亀裂が入った ] カミサンの体験である。昼休み、顔を直していたら、突然コンパクトの鏡に亀裂が入った。そして数分後に実家(栃木県佐野)から電話が入った。「父が倒れた」・・・大事には至らなかったが。 ユリゲラーが来日してテレビ出演し、実験した時のことである。私は連日、呼ばれたり、呼んだりで雀荘にいた。その番組を見て一緒にプレーしていたらしく、「スプーンがくにゃっとまがったの、それに壊れた時計まで動き出したの」と電話が入ったことがある。 [ それは偶然だよ! ] 私が家族旅行でトルコへ行った翌年の同時期(夏休み)大地震がありました。日程を前にずらしてニューヨークへチョコット行きました。当初の日程で例のテロがありました。マンハッタンの昼景、夜景を二回見ました。エジプトのテロも我々が行った翌年でした。 中学生の時、自転車を飛ばし目白通りから練馬駅に右折した所でスリップして反対側の歩道まで行き転倒することなく止まりました。トラックの前ぎりぎりを横断したのです。 大学生の時、久しぶりの休みに自転車を乗り回していました。チンチンチンと鳴っているいるのを見ながら「赤だな」と認識したのですが、止まると云うことと結び着かなく踏み切りを渡ったのです。渡り終わった時、背中で感じました。電車がゴーッと通り過ぎたのを。数秒の差で助かりました。当時考え事が多く、入り組んでいたせいで少々精神状態がおかしかったのです。雪の日、電車に間に合わせるべく階段を駆け上がり、駆け下りる所で滑り、階段の角を直滑降で降り、ホームにトーンと着地したまでは良かったのですが、運悪く雪の日、見事にすべりましたが、ホーム上で止まり、入って来た電車の前に落ちずに済みました。
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